横断歩道ない道渡り息子死亡…悲劇の母親に殺人罪
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110809/amr11080908320001-n1.htm
飲酒死亡ひき逃げ死亡事故の被害者というのにも関わらず、500メートルにもわたって横断歩道が無いような道路で不規則横断をしたことをとがめられ、司法取引があっただろうとはいえ加害者よりあわや重い刑を科されるかも知れなかったとは、車の利便性の為なら(交通)弱者の権利はおろか生命さえもどうなっても構わない、アメリカの車優先社会というのも凄まじい限りです、一方欧州では信号無視している歩行者にクラクションでも鳴らそうものなら逆切れされるとか、大きな違いです、まあ自転車は度々槍玉にするものの車がいかに人を殺し続けても全く無視するマスコミ、その陰で先の自転車側だけ罪に問われた浪速区2人死亡事故をはじめとして、死亡ひき逃げしても大型車に乗っていて気づかなかったのだから不起訴とか、追突で2人死なせたり、追突で歩道にいた小学生を死なせても処分保留になったりと車の側の安全確認義務が狭くしか認定されないような事例が相次いでいます、このようなことが積み重なっていけばいずれは「車が人をひき殺してもひかれた方が悪い」(どうせそうなれば死人に口無し事故処理も横行するでしょうし)ということになり、ついにはこのアメリカみたいに被害者側の方が重い罪に問われる、ということにもなりかねません、交通弱者にとって極めて不利な道路政策が採られ、事故が起こっても裁判では強者側の言い分のみが通ると、正にアメリカというところは資本主義の凶暴性が行き着くところまで行っている気がします、そして我が国の車の加害は見てみぬ振りのマスコミ、「歩道上の自転車対歩行者事故は全て自転車側の責任!」とまで言っておきながら車の注意義務については狭い範囲しか認定しない判断が増加傾向の司法当局、どういう社会を目指しているかは明らかです。