平松大阪市長がこのような発言をしました。
■大阪市で会議 「生活保護の新制度を」
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE101019174600398981.shtml
「働けるのに働こうとしない人には(生活保護の)廃止の対象になる。日本人には労働の義務がある」
とのことです、ここで平松市長の言っている「働けるのに」というのはあくまで「働く能力があるのに」ということでしょう、それもあくまで外から見た上での、この日本が共産主義のような国で、管理された経済の下、労働者にはくまなく働く場が与えられるような社会だったらいいのですがもちろんそうではなく、この国は競争社会で、特に不況の現状では働く場を得ること自体がもう既に競争であり、どうしたってそこからこぼれ落ちる者は出てきます、またそうしたところにつけこんでくるのがブラック企業というものであり、思うがままに労働条件を引き下げ、労働者を酷使してくるのです、そういったところから逃れる為の、またあるいはそういったところで精神を病んだ人の為の避難場所としてセーフティネットの存在意義はある筈なのですが平松市長のこの言葉はそうした機能を行政が果たすことを全て放棄する、という宣言と言っていいと思います*1。
完全雇用などという言葉は全くの絵空事でブラック企業のあらゆる不法行為が横行するというこの状況の中で、
「日本人には労働の義務がある」
などと弱者にばかりきれい事を押し付けてくる行政やマスコミの一方的な姿勢には毎度ながらうんざりします。
もっとも特に不況と地盤沈下が進行しているこの大阪で特にそういった歪みが顕著になっているということであり、背後には止むに止まれぬ事情があるんだな、ということも分からなくはないです、思えばこれだけ失業者を吐き出しながら日本社会はちゃんと回っているのです、効率化、海外移転、少ない人員を長時間働かせることによる省人数化、何より日本は輸出を増やすことによって国力を、国民の食い扶持を増やしてきたのですが当然世界市場にも限りはあります、もうこれ以上の成長は期待できず、労働力に不足することはもうない、という結論にどこかで達したものと思われます、そしてそうなった時には得られた富をセーフティネットによって分配し、なるべく多くの者が食える社会にするか、それとも人口を減らしていくかという2つの選択肢があるのですが、そのような選択を迫られる場面になれば当然のように日本の産業界は後者を選択するでしょう。
そうしてみるとバブル期には女性たちに「三高」なる言葉を吹き込み非婚化、少子化を強烈な勢いで推進させ、今ここではブラック企業をあえて放置し、セーフティネットも剥ぎ取っていき弱い者から自殺していくように仕向けていく*2、といったこれまでの政策にも一貫したものが見えてきます。