大阪交通ニュース(はてなブログ版)

交通弱者のためのニュースを追求します、あとコメントは承認制にしています。はてなダイアリーhttp://d.hatena.ne.jp/delalte/より移転しました。

まさにいじめの元凶そのものだった義家弘介氏の言説

BLOGOSにこういう論説が載っていました。

イジメ被害者には、二択しかないという無責任
義家弘介
http://blogos.com/article/43906/

この文の中では静岡市長がいじめ被害者に対してとにかく逃げることを勧め、挙句の果てに自分の身を守ることは自己責任だ、などと言っている事を市長としての教育、責任放棄だと言っており、その主張には頷くところもあるのですが、義家氏の言っていることの中にも極めて見逃せないものがあります。

不登校』になる、ということが被害者の将来にどれだけ大きな影響を与えるかを、早稲田大学を出て、松下政経塾で学び、市議、県議を歴任された市長にはおわかりにならないようだ。

不登校になることが将来に不利になるという現状は確かにあるのかもしれませんが、それならば不利にならないよう改善する責務があるというもので、そこを自民党の国会議員であり、いわば権力者でもある義家氏が何の現状批判も改善の意思も、改善策の提示も全て無しで「被害者の将来にどれだけ大きな影響を与えるかを」などと言われては、やっぱり逃げて不登校などということをすれば将来に大きく不利、人生を棒に振りかねないことだという風潮にいわばお墨付きを与えるようなものです、こうしたことがよりいじめ被害者を追い詰めることは言うまでもないことでしょう。
この文章にしろ、先ほどの大阪府教委にせよ、何だかこういった保守よりの方は加害者出席停止という厳罰を好み、いきなり先行させたがりますが事はそう単純な問題でもないでしょう、例えばいじめグループが十数人に上った場合はどこまで出席停止にするのでしょうか?そこまでいかなくても、いじめの実行者は数人だけでもその周りの傍観者に加害者側に近い者が多数いる場合は?いずれの場合でも加害者、あるいはその中心人物のみが排除されたとしてもそれに近しい人物がまだ多数残っている場合には却って仕返しされかねませんし、またそういった場所に加害者を排除したからと被害者をまた通わすというのも酷な話だと思うのですが。
それにしても元教育者でもある義家氏のこの文章が象徴的ですが、いじめの解決策として被害者の不登校、転校という逃避的手段を忌避する感情が教育者にはあるようです。もちろんそれには教育者としての自負の表れ、責任感という側面もあるのでしょうが、それとは別にとにかく理由は何であろうと教育からの落伍者は許さない、そういった者にはペナルティーを与えなければならない、義家氏は「『不登校』になる、ということが被害者の将来にどれだけ大きな影響を与えるかを」と言っていましたが、それを克服しなければならない課題などとは考えておらず、むしろ維持しなければならない制度だとでも考えているように思えて仕方がないのです。
教育というものにはとにかく強制力が必要であり、例えば嫌いなものがあるからと給食を拒否、苦手な水泳を強要されて命の危険をも感じたから授業を拒否、体育祭の練習で教師の怒号の中何の意味も無いと思われる行進の練習など強要されて極めて不快だと思ったから練習を拒否、などということになったら教育が成り立たない、ということです。生徒に好んで苦痛を与え、それによって忍耐を養いそれをもって教育とする、教育者の中にはこういった考えがはびこっているのではないかと、まさにこれこそいじめそのものではないかとも言いたくなります。そしてここからは「いじめもまた忍耐を養うために役に立つ」といった吐き気のするような考え方への距離もそんなに遠くないとも思えてきます、そういった中からいじめを容認する雰囲気も生まれてくるのではないのでしょうか。不登校といった逃避者には救済を与えることなくむしろ罰を与え、偏見を助長する、まさにこの義家氏の言説こそがいじめの元凶とも言えるでしょう。