大阪交通ニュース(はてなブログ版)

交通弱者のためのニュースを追求します、あとコメントは承認制にしています。はてなダイアリーhttp://d.hatena.ne.jp/delalte/より移転しました。

死刑大好きマスコミが報じない2人殺害有期刑判決

こういったニュースがありました、

元建設会社社長に懲役24年 新潟・南魚沼の集団暴行
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111102/trl11110219230010-n1.htm
2011.11.2 19:23
 新潟県南魚沼市の建設会社事務所で昨年、男性従業員ら2人を集団暴行して死なせ、群馬、埼玉県境の神流湖に遺棄したとして、傷害致死罪などに問われた元社長近藤朗被告(36)の裁判員裁判新潟地裁は2日、懲役24年(求刑懲役25年)の判決を言い渡した。

 藤井俊郎裁判長は「被告の暴行を皮切りに、共犯者が無抵抗な被害者をめった打ちにした、殺人行為と呼んでもおかしくない危険で苛烈な犯行」と指摘。「口裏を合わせ、普段通りの生活を送っており、冷酷非道だ」と述べた。

 判決によると、近藤被告は昨年2月28日、経営していた建設会社の事務所で従業員と共謀し、土木作業員佐野航さん=当時(19)=と調理師茂田井行洋さん=当時(33)=をそれぞれ木刀で殴るなどして外傷性ショックや出血性ショックで死なせ、車で神流湖まで運んで翌3月1日未明に橋から遺棄した。

どう見ても2人を殺しているのですが、懲役24年止りです、あれっ、マスコミは常日頃から複数人殺せば即死刑!死刑だ!と騒ぎまくり、死刑判決を躍起になって増やそうとしているのですが、これだと2人殺しているのに求刑からして死刑どころか無期ですらありません、それにこのニュースをWEB上で伝えているマスコミも産経新聞(司法欄)、毎日新聞(ローカル欄)のみです、それにしても何故この被告は2人も殺しているのにこの程度の刑で済むのでしょうか?
まず挙げられる理由としては男性が拉致や監禁でもされてそのまま集団暴行され死に至ったケースというのは、立証が難しいとかそういった理由がまず考えられるのですが、大抵殺人ではなく傷害致死しか認められず、1人をリンチ死させたくらいではせいぜい10年程度の判決に落ち着いているのです、多人数でもってなぶり殺しをするなどというのは数ある殺人の形態の中でもとりわけ悪質なものだと思うのですが、それに対する罪というのは何故だか軽いというのがこの国の司法なわけです、その次に挙げられる理由が、この国では立場的に上の者が下の者に暴力を振るって殺害した場合にはとぼしく罪が軽くなるということです、まず思い浮かぶのが記憶にも新しい時津風部屋力士暴行死事件でしょう、あの事件あれだけ騒がれたにも関わらず実行犯とも言える兄弟子3人は全員猶予刑、指示を下したとされる親方には懲役5年と事件の凄惨さの割には極めて軽く思われる量刑に終わっています、また他にも国士館大剣道部で先輩部員が後輩を暴力によって死なせた事件でも懲役3年止まりです。
さて、一般的に見て交通事故で人を死なせた場合の量刑というものは明らかに故意に殺人を犯した場合に比べて当然軽いものとなっています、それは車を運転するという行為が日常生活にとって不可欠なものであり、それが相当な危険性を内包していたとしてもごく当たり前の正当な行為と認めなければいけないからでしょう、一方で道行く人に対していきなりナイフで切りかかったり、恨みの余り誰かの家にまで押しかけていって首を絞めるなどということは当然違法行為です、だからその行為の果てに人を死なせたら交通事故に比べて罪が重くなるというのもまた当然のことでしょう、そこでこの相撲リンチ、部内暴力での殺人事件の極めて軽い量刑です、これは司法界全体が、まあ車の運転ほどではないにせよ、新弟子への集団暴行や、下級生への一方的暴力は正当的なものであると認めているということに他なりません、勿論それは会社内の関係にも適用され、会社の経営者などが部下に一方的暴力を振るった末に死に至らしめても傷害致死しか適用されず、罪が大して重くなかった例などいくらでもあります。
かといって2人も死なせたとなると、2人死亡=死刑ドクトリンを維持する為に罪が重くならざるおえません、また、2人も死なせたとなると偶発性が否定され、故意性が疑いようもなくなるということもあるのでしょう、1人殺害だと10年超懲役程度で終わるヤクザ間抗争でも2人死なせたとなると死刑や無期判決が下されている例もあります、この事件はこれでも検察が相当頑張った末の重い量刑なのかもしれません。
これらことから分かるのは、この国の司法は追い詰められた末に弱者が犯す犯罪については容赦なく厳罰を下すが、社会的強者がその力のままに弱者をなぶり殺しにするような犯罪については徹底的に甘いということです、これは警察内部の価値基準に基づいているのでしょう、当然のことながら警察とは上下関係の非常にはっきりした組織であり、その内部では下位者にたいする暴力的制裁が横行しているのでしょう、そしてその組織の上部にはそういった制裁を良しとする者ばかりで占められているとすれば、上位者による暴力には極めて寛容な司法の傾向というものもわかり易いところです、というより強者の暴力によって社会秩序が保たれるという構造を司法界が容認していることの表れなのでしょう、そうしてみると集団暴行死になかなか殺人罪が適用されないというのも、ただ立証が難しいだけではなく、力を持つ者にはとことん甘いという司法界の傾向からなのかもしれません。
それにしても問題なのはこういった社会的強者による殺人はなかなか報道せず、強者の暴力容認という弱いものいじめ構造の維持に手を貸しているマスコミです、マスコミは度々「こんな奴は死刑にしろ!」といった報道というか扇動を行いますが、これはマスコミが私刑機関として機能していることに他なりません、ならば自分たちに都合の良い事件ばっかり大きく喧伝して厳罰化を煽るだけでなく、上記のような事件についてもちゃんと報道して、きちんと事件や量刑や司法の在り方について考えられる情報というものを隠蔽せず伝え、私刑機関なら私刑機関なりに公平性を保つ努力というものもちゃんとして欲しいものです。